境界線について
2013年 01月 08日
簡単で良い!
単純で良い!
明快で良い!
なにより、かにより
石川五右衛門(inルパン三世)の斬鉄剣のごとく
何もかんも
全てのものを
スッパリと真っ二つにぶった切るのは気持ちが良い!
そして斬った後はニヒルに一言
「またつまらぬものを斬ってしまった・・・」
しかしPEKEの場合は
「またくだらぬことを書いていまった・・・」
と慙愧の念に苛まれるのである。
境界線の話であった。
PEKEは元・チョウ屋であうから
元来、境界線には極めて敏感である。
例えばリュードルフィァ線である。
ギフチョウとヒメギフチョウの分布の境目である。
他には地味ではあるが
ダイミョウセセリの関東型と関西型の分布の境目も興味深いところである。
しかしルリタテハの前翅中室の白斑は南へ行くと青みがかるのであるが
これは「クライン」といって連続的な変異だそうで
明確なラインは引けないらしい。
なんだかすごく学術的な話をしている。
別に熱があるわけではない。
不思議な夜である。
むかし「日本全国アホ・バカ分布調査」がTVのバラエティ番組で実施された。
大阪で「君、バカだね」と言えば大喧嘩になり、パトカーが集まってくる。
場合によっては救急車が来る場合もありうる。
東京では「自分、アホちゃう!」と言えば同じ現象が起こるであろう。
しからばその境界線は何処にあるか?
それを○○町×丁目△番地レベルまで調査しようとした企画だったと記憶する。
チョウ屋も同じことで
どの谷が、どの尾根が、どの川が
分布の境界線になるのか
とことん突き詰めるのであるが
このあたりの話は来る「斜めの会」の総会において
「妄想族」と分類される方々のご意見を拝聴することにしよう。
今夜も前置きが長くなってしまった。
本当に悪い癖である。
眠たいので思わずこのまま「送信」ボタンを押すところであった。
アップしたかったのは
地上世界と地下世界の境界画像であった。
設計図であればGLラインがそれに当たるのであろうが
夜の街では・・・
今夜も意味不明のままの更新終了である。
しかし「境界線」問題は
国際問題でもあるが
日本的サラリーマンにとっては
常日頃の職務所掌の問題として
頭が痛い部分ではあるが
これ以上は筆の滑りすぎと思われるので
今夜はもう寝ることにする。
長野の白馬・深空野の水路脇では混飛を観察しました。でも雑種は見かけませんでした。
人の眼を気にしつつ出向いた長野・黒岩山では、そもそもルーを見ることができませんでした。
あぁ、今年もあと3ヶ月もすると悩ましい季節になるのですね…。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
大石田はPEKEも東京でサラリーマン生活を始めた頃に
一度行ったことがあります。
もちろんGやHG観たさのGWの訪問でしたが
雪の多い年だったので
雑木林の林床はもちろん
田んぼや畑も真っ白け
それでも雪の消えかけら場所を探してうろうろしましたが
何も観ずに帰りました。
東京にいた頃はよく東北へ旅をしました。
文学青年っぽい部分があったので
太宰治を偲んで津軽半島とか
宮沢賢治を偲んで盛岡周辺とか
柳田国夫を偲んで遠野とか
何度か夜行列車の旅をしました。
チョウは一応、ヒメギフとキマルリは押さえて関西へ帰任いたしました(笑)
G開幕、たのしみですね。
一度 入笠山に出かけたけど・・・大雪の残雪で撤収~~・・・・・・
以来 ヒメには縁が無いのです・・・・・
でも もう一度 ヒメとクモツキは見たいところですねぇ・・・・
滋賀は鹿の食害で激減しているとか聞きます。
学生時代、ヒメギフといえばまずは入笠山は小黒川林道でしたねぇ~。
当時はまだ牧場にミヤマシロチョウがいましたから
越冬幼虫をつまんで帰ったりしましたねぇ~
ヒイラギナンテンで飼育するのですが
暑さにやられてうまくいきませんでした(泣)
残雪に白く輝く峰を眺めながらのヒメギフ探索は
ああ!またいきた行きたいなぁ~
ここのヒメギフは良い日に当たるとウジャウジャ観られることがあるそうで、
いちどK君が嬉しそうにいていた年がありましたねぇ~
ミッションGではそのあたりの情報も仕入れてみましょう!(笑)
三重、滋賀のギフは「蝶研」の青い本が出た当時に行きましたから
もう随分昔の事ですね
どちらも少なくて一回に1~2頭でしたね 卵探しもしたけどみつかりませんでした
入笠山・・・・もう一度出かけてみたいなぁ~~・・・雪の無いときに・・・・
今年は行けるかなぁ~(^-^)